そもそもですが、なぜ農薬は必要なのでしょうか。これまでと、これからについて。
農薬の歴史
日本では大正時代(1920年代)に使用が始まり、本格的には第二次世界大戦後からDDT
やBHCなどの有機塩素系殺虫剤が最初に使われました。
日本では、戦後1,000万人が餓死すると言われるほど、深刻な食料不足に陥りましたが、DDTを皮切りに、BHC、パラチオン、2,4-PAなど多くの化学農薬が導入され、食料不足を克服するのに、農薬は化学肥料とともに大きな役割を果たしました。その後も、新しい薬剤が次々に導入され、農薬は食料の安定生産や農作業の省力化に多大な貢献をしてきました。
欧米諸国でも、農業生産性の向上を目的に、農薬は目覚ましく普及し、使用量も著しく増加しました。しかし、1962年(昭和37年)、アメリカの海洋生物学者、レイチェル・カーソンの「Silent Spring(沈黙の春)」が刊行され、農薬による環境汚染問題に警鐘が鳴らされました。それ以後、農薬の毒性、残留性や使用法などについて検討が加えられ、見直しが行なわれました。
わが国でも、DDTやBHCなどの有機塩素系殺虫剤や有機水銀剤といった残留性の高い農薬については、行政による規制あるいは企業側の自主的な対応が行なわれ、製造販売が中止されて姿を消していきました。
引用元 農薬工業会:
戦後、日本は農業労働力不足、作付面積の減少、天候不順などにより、深刻な食料不足に陥りました。そんな食料危機を克服する技術の一つが化学農薬でした。戦後、多くの化学農薬が誕生し、不安定だった作物の収量の安定、除草剤の開発による農業労働時間の減少など、農業の省力化に大きく貢献しました。
しかし、毒性が強いものも多く存在し、環境汚染問題に対する意識の高まりから、農薬の毒性、残留性や使用法などについても、世界中で検討が加えられました。
利用実績が長いグリホサート
歴史を踏まえての見直しや研究開発によって、現在は安全であると確認された農薬だけが、その使用についてのガイドラインが設定されて使われているわけです。
その中でも、土壌では微生物により分解されるなどのグリホサート 作用機構から安全に使える農薬という位置付けであり、150カ国以上の承認と40年以上の利用実績があるのも、複数の規制機関による検証もされていることからで、農家の人たちにはグリホサート 除草剤は不耕起栽培と併せて不可欠なもので利用のメリットが大きいものです。
これからのために
世界中で広く使われているグリホサート イソプロピルアミン塩は不耕起栽培に利用されることでのメリットも多々ありますが、もちろん環境人にも、人にも安全である上で食料の供給できるものであることが期待されます。その上で、2100年には112億人に増大すると見込まれて世界の人口は増加し続けていて、その人口増加に対応するための安定的供給を確保するには、農薬が果たす役割は大きいのではないでしょうか。
なぜ、グリホサート系除草剤がこれほど長く、広い範囲で使われているのでしょうか。それはこれまでの利用実績と800以上の科学的な検証があるからです。